私の父は71歳

童顔というのでしょうか?

年齢よりずいぶん若く見える父でした。


昨日朝、2カ月半の壮絶な闘病の後

家族に見守られながら念願の自宅での旅立ちを果たしました。


父は、いつもダジャレを言う陽気な人でした

木彫りの仏像をとても上手に沢山彫りました

アイデアを出しては、家族に便利なものを沢山作ってくれました

母の影響で花の名前を沢山覚えました

カニが大好物でした

いつも私や家族の味方でした


何か思いつくと、すぐに着手しないと気が済まない人で

若いころは短気なところもありました

いつもどんな時でも前向きでした

母をとても愛していました

最後まで愚痴一つこぼさず立派でした


自分の事より家族や友達の事を心配していました

死の病に侵されているというのに

「自分が居なくなったら、

 友達を家に呼んで

 お茶したり沢山楽しむんだよ。

 最後まで守ってあげられなくてごめんな。」


死を覚悟した父は まだ話せるうちに、母にそう言っていたそうです。


病気が発覚する直前から着手した孫二人の木彫りの像がありました。

二つの像につけた題名は「宝物」
亡くなる1週間前に市の展示会に応募しましたら

父の旅立ちの2日前に、入選通知が届きました!!


もう話すことが出来なくなっていた父に入選の事を伝えると

指で「OK!」マークを出して喜びを教えてくれました


沢山の父との楽しい想い出が

雪崩のように押し寄せてきて

胸が苦しくて、悲しいやら嬉しいやら


父が喜ぶと思うと なんでもしてあげたくなり力が湧きました

父のためにと思うとふらふらな身体でも不思議と動けました


でも、父の痛みや苦しみや悲しみは大変なものだったことでしょう

父は決して家族には弱気な姿を見せることはありませんでしたが

私は何も助けてあげることが出来ませんでした

無力さを嫌というほど味わいました

あの痛みや苦しみを分け合えたらいいのに。。。


入院が嫌でたまらなくて

入院中はすぐに退院したいと先生や看護師さんに訴えていました。


最後の退院の日

車椅子に乗って病院のベッドを後にした父は

「長かったぁ~~~。」とため息にも似た一言



医療では治療出来ない状況にて

その後自宅にて日々衰弱していくばかりの日々

一言だけ母に弱音を言ったそうです。

「いつまで続くんやろなー」


母は父の前で大泣きしたそうです



頭の中がぐちゃぐちゃで

きちんと整理出来るまで時間がかかるのでしょうけれど

父は最後まで

素晴らしい父でした


娘に生まれることが出来て

とても幸せです


感謝しかありません


これからお通夜と告別式です

父を送ってきます


あ、

でも父は、もうここで見聞きしていて

親族の挨拶あたりでは

横に立って一緒に挨拶しているんだろうな