もう何か月ぶりだろう?
病気が分かった直後に
父が行きたがっていたカラオケ。
その時 すぐに行こう!と誘ったけれど
また後日、いつでも行けるから・・と言った父。
無理にでも誘ってしまったら
もう長く生きられないのでは・・と
父が希望を失ってしまうのが怖くてできなかった。
父さん、今頃何してますか?
今日はおつかれさま会♪
父さん、母さん、旦那さんに娘っこ。
みんなおつかれさま。
ほんとにほんとに、ありがとう(泣)
気持ちよ~く歌ってたら、娘が録音してたので
恥ずかしげもなくUPしてみた
上達する為 闘志を燃やせそうだ・・むむ
へたっぴ涙そうそう
えぇ、分かってますとも。(下手)
でもカラオケは楽しければ良いのですよ♪ ね、おとーさん。
いまはこんなの見ると
見ると泣いちゃうんだけど・・・
ヒトって愚かだけど
ヒトって輝けるんだね。。
私の父は71歳
童顔というのでしょうか?
年齢よりずいぶん若く見える父でした。
昨日朝、2カ月半の壮絶な闘病の後
家族に見守られながら念願の自宅での旅立ちを果たしました。
父は、いつもダジャレを言う陽気な人でした
木彫りの仏像をとても上手に沢山彫りました
アイデアを出しては、家族に便利なものを沢山作ってくれました
母の影響で花の名前を沢山覚えました
カニが大好物でした
いつも私や家族の味方でした
何か思いつくと、すぐに着手しないと気が済まない人で
若いころは短気なところもありました
いつもどんな時でも前向きでした
母をとても愛していました
最後まで愚痴一つこぼさず立派でした
自分の事より家族や友達の事を心配していました
死の病に侵されているというのに
「自分が居なくなったら、
友達を家に呼んで
お茶したり沢山楽しむんだよ。
最後まで守ってあげられなくてごめんな。」
死を覚悟した父は まだ話せるうちに、母にそう言っていたそうです。
病気が発覚する直前から着手した孫二人の木彫りの像がありました。
二つの像につけた題名は「宝物」
亡くなる1週間前に市の展示会に応募しましたら
父の旅立ちの2日前に、入選通知が届きました!!
もう話すことが出来なくなっていた父に入選の事を伝えると
指で「OK!」マークを出して喜びを教えてくれました
沢山の父との楽しい想い出が
雪崩のように押し寄せてきて
胸が苦しくて、悲しいやら嬉しいやら
父が喜ぶと思うと なんでもしてあげたくなり力が湧きました
父のためにと思うとふらふらな身体でも不思議と動けました
でも、父の痛みや苦しみや悲しみは大変なものだったことでしょう
父は決して家族には弱気な姿を見せることはありませんでしたが
私は何も助けてあげることが出来ませんでした
無力さを嫌というほど味わいました
あの痛みや苦しみを分け合えたらいいのに。。。
入院が嫌でたまらなくて
入院中はすぐに退院したいと先生や看護師さんに訴えていました。
最後の退院の日
車椅子に乗って病院のベッドを後にした父は
「長かったぁ~~~。」とため息にも似た一言
医療では治療出来ない状況にて
その後自宅にて日々衰弱していくばかりの日々
一言だけ母に弱音を言ったそうです。
「いつまで続くんやろなー」
母は父の前で大泣きしたそうです
頭の中がぐちゃぐちゃで
きちんと整理出来るまで時間がかかるのでしょうけれど
父は最後まで
素晴らしい父でした
娘に生まれることが出来て
とても幸せです
感謝しかありません
これからお通夜と告別式です
父を送ってきます
あ、
でも父は、もうここで見聞きしていて
親族の挨拶あたりでは
横に立って一緒に挨拶しているんだろうな
御神気溢れる素敵な神社でのご縁を楽しみました
日本最古の神社といわれる三輪の大神神社
御神体は、背後の大きな山だそうで
この大きな門をくぐり
しばらく歩くと入口にたどり着きます
長い参道を歩き階段を上がり
こちらで参拝です
頬を撫でる風が心地よくて
優しく穏やかなものに包まれるような感覚で
疲れた心と体が癒されるようでした。
今日こちらにご縁を頂いたこと
いま、ここで息をし生かして頂いていることが
有難いことなんだなぁとしみじみ感じたりしました
それから父の幸せと平癒、受験生の娘への応援の気持ちを
ご報告しました
GWの今日はさすがに沢山の人たちが参拝に来られていました。
以前来た時はパラパラ程度だったけどな。
拝殿を後に
御神体の山登りをされる方も
多々おられます
私たちは行きませんでしたが
約2時間の登山になるそうです
神社の広大な境内にある
久延彦神社さんと
狭井神社さんで
祈願をしてきました
途中にある展望台からの風景です
緑が綺麗でした ハイキング気分です
次にご縁を頂いた時も
笑顔でいられますように。
愛する人たちが
幸せの中で過ごせますように
今日も有難うございます。